2010年5月8日土曜日

㈱イシン・ホテルズ・グループの法人格悪用事例

   ㈱イシン・ホテルズ・グループは、会社の本質は悪質な部分があり、それは、経営者が意図的に法人格を濫用した典型な事例であり、目的は、恐らく責任逃れがまず最大なもの。

  つまり、いざ何かあった時、別な法人だから、訴える相手(原告や被害者)の責任追及のプロセスを複雑にさせて(予想外の困難をわざと引き起こす;問題の焦点を濁す;相手の視線を撹乱させる;相手のエネルギーを消耗させ、諦めさせる、等)、下手な法的対策であり、アプローチを阻止する拙劣な考えで、自作自演のフィクションドラマにすぎない。

  思考の次元があまり低すぎる。

  今回みたいに、最初から計画的に会社組織を二重構造にして、親会社 ㈱イシン・ホテルズ・グループの関与を否認し、独立の法人 ㈲イシン・ナリタ・オペレーションズ であると見せかけ、責任追及をしにくくさせるのではなかろうか。

 近い内に、その真相が法廷で明らかにされる。

 ここにただその要点だけ、記する。

キーポイントは 法人格悪用の「法人格否認の法理」、法人の形骸化。

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2010年5月7日金曜日

簡易裁判の訴訟ノート <4> (文責 魯 明)

 神奈川簡易裁判所に、再度訪ねたのは4月26日。

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 調書をもらうためだった。

 4月8日の開廷日に、法廷に居た担当書記官が、その日に直接に会ってくれて、必要なものだけ、コピーしてもらい、サインしたり、判を押したりして、書類等をもらって帰ってきた。

 このシリーズにすでに、3回に渡って、簡易裁判所で原告として訴訟を起こした体験を述べてきた。

 今回、最終回で、その結末について、述べて行きたい。

 訴訟の取り下げについて

 日本の民事訴訟の実施法たる民事訴訟手続法があるらしい。

 民事訴訟(手続)法によると、取り下げは、つまり、こういう法律効果がある。

  訴えの取下げは、原告の、裁判所に対する審判要求としての申立ての全部または一部を撤回する旨の意思表示であり、判決が確定するまで取り下げることができる(民訴法261条1項)。訴えの取下げによって当該訴訟は終了し、初めから訴訟が係属しなかったものとみなされるほか、取下げが終局判決後になされた場合には再訴が禁止される(同法262条)。訴え提起による時効中断の効果も消滅する(民法149条)。   
出所 みなとみらい司法書士事務所(横浜)
   

 つまり、取り下げをすると、訴訟が最初からないものとされるということだ。

 審理当日、つまり4月8日に、「取り下げ」の意味や意義をはっきり分からない原告の私は、裁判官の大山涼一郎に、取り下げをしないと、被告相手(訴える対象)を間違ったから、原告の負けという判決を下すと強調され、やむを得ず、裁判官の指示通り、「取り下げ書」に署名・捺印した。

 裁判官に対する評価

 しかし、法廷内の経過を振り返ってみると、裁判官 大山涼一郎 のやり方に納得できない部分が確かにあった。

 態度が威張り終始でよくないことを<1>~<3>の中、触れて来たが、ここに、もう一つの問題点を述べたい。

 問題点というと、即ち裁判官の中立性とか、または、公平さというものだ。
 
 まず、結論から言っちゃうよ。

 大山涼一郎は、あの日、決して中立に居たのでなく、むしろ、日本人の被告代理人に偏ったという現れの連発だった。

 アンフェアの大山涼一郎は、大失態と言えるのであろう。 

 取り下げ後、裁判所と電話やFaxのやりとり

 4月26日に、野地書記官に会う前に、すでに電話のやりとりを何回があった。最初は私から野地に電話やFAXをした。

 聞きたい(確認したい)ことがあったためだった。

 野地は、慎重な姿勢で、特に私のFAX内容について、すぐに回答しないで、検討すると伝えてきた。

 わたしは、4月12日に横浜地方裁判所の12F(総務課)に行って来たと野地に言ったためか、彼は、一層慎重な姿勢を見せたかもしれない。

 野地書記官に聞きたいことは、概ね以下の2点である。

 1.去年12月24日に提訴した今回の案件は、どうして今年の2月26日に私から電話を入れないと、ずっと動かなかったか、という理由を聞きたい(ついでに、一般民事訴訟なら、最高裁の統計によると、訴訟を起こしてから結審まで、平均で2.2カ月かかったと、野地書記官に電話で補充説明したら、あ~そうですかと淡々言い返してくれた)
 2.取り下げ書のコピーをFAXでもいいから、(送って)もらいたいという要求で、もらえるかという質問。

 他にも、例えば、4月8日にて、簡易裁判所内である職員さんに言われた「勅令」みたいなものは、一体何ですかという質問に対して、のちの電話で、回答を野地からもらった。

 つまり、1.と2.については、野地に聞くべきであって、1.について、野地は、自分が4月に入ってから初めてこの案件を振り分けられたから、その以前のことは、不明というか、関与していないという。2.については、取り下げ書のコピーを渡すことが出来るが、FAXでなく、窓口に来て手続きして渡すことになるという。

 そして、他に必要なものがありますかと野地が電話で私に確認した。他にあるとは何ですかと聞き返すと、調書とかあると野地が釈明した。

 口頭弁論期日の指定原則

 野地によると、神奈川簡易裁判所の職員の言った「勅令」について、「勅令」でなく、裁判所の訴訟提起に対する対応仕方は、《民事訴訟規則》の第60条2項に、関連規定があり、一般的に30日内に口頭弁論期日を決めるべきだという。

 そうすると、今回は、神奈川簡易裁判所の対応は異常だった。去年12月24日の提訴以来、4月8日の開廷審理まで、かなり日数を経た。しかも、2月26日に私の催促電話がないと、いつまで延ばされるかが本当に分からないだよね。

 裁判所の職員達は全員で仕事に、真面目に取り組んでいるとは限らないだろうね。兎に角、引き締める必要があると思う。

 取り下げ調書について

 結局4月26日に、窓口で渡された調書は、私の期待通りの調書でばく、ただ形式的なフォーム一枚印刷物であった。

 「調書」に盛り込んでほしい内容は、野地に電話で説明したが、しかし、それを一切に受け入れない理由は、野地本人によるか、それとも、神奈川簡易裁判所の方針であるかは、分かりません。
 
 いずれせよ、「調書」について、専門家に見てもらい、さらに、真相を求める。

 私から、今回裁判官の取り下げ判断(命令)は、事実や経験則(=自由心証)、公平に基づいての審理からかけ離れたから、その取り下げの背景を忠実に調書に記述すべきだと、野地書記官に電話で強く要請したが、あえてしてくれなかった。

 確かに、文書にすると、残るからね、誰だって、いやだよね。

 つまり、文書にその経過をリアルにまとめると、後(のち)、関係者(神奈川簡易裁判所か、裁判官 大山涼一郎 本人、または、まずいと感じた関係ある者等)から反感を買う恐れがあってはならないから、できないに決まった。

 それは、人間社会のいいところでもあり、悪いところでもあった。それしかいいようがない。しかし、法律規定があるところでれば、それに従わないと、発覚されると、問題になるのは、確かなことであり、責任を追及されるのも避けられないことであろう。

 取り下げるべき判断について

 私から、審理の当日4月8日でも、その後の電話でも、野地に裁判官 大山涼一郎 の取り下げ判断の妥当性について確認した。

 それが、100人の弁護士に聞いても、100人は、正しいという結論だと野地は強調に言った。

 つまり、野地は、問題を避けるでなく、裁判官と同調した。

 民法の債務弁済代位等について


 野地の変えない態度にも関わらず、諦めない私は、いろんな参考書を調べて、分かったのは、つまり、代位のことで、それを突き止めた。

 結論からいうと、つまり、そういうことであろう。

 民法上、債務者の代わりに、その連帯責任にある者は、債務を引き継ぐことがあり得ること。それを代位弁済という。

 また、学説によると、倒産後、親会社が子会社の肩代わり、債務を負う立場にあると解される。

 今回の被告は㈱イシン・ホテルズ・グループでなく、㈲イシン・ナリタ・オペレーションズだと、被告である㈱イシン・ホテルズ・グループの代理人がそう否定したが、しかし、法人名が違っても、経営者(使用者)はマイケル・ニギッチだから、連帯責任者として、責任を取ってもらうのは、問題ないはずだ。

 前述のように、子会社の㈲イシン・ナリタ・オペレーションズが倒産しなくても、不法行為による損害賠償債務不履行(履行拒否)で、親会社に請求しても、別にいけない法律規定(法的制限)がないだろう。

 さらに、学説によると、親会社の㈱イシン・ホテルズ・グループは、子会社に役員を選任と派遣する責任があり、その責任を追及するため、子会社の代わりに、不法行為の過失責任を含めて、役員選任の責任追及まで親会社に対して追及し得ると言えよう。

 特に、今回の場合、㈱イシン・ホテルズ・グループの社長はマイケル・ニギッチであり、㈲イシン・ナリタ・オペレーションズの取締役も本人であるため、同じ社長や重役の立場に居る、重ねた身分のマイケル・ニギッチに対して、責任追及し得ると解すべきだろう。

 だから、今回、被害に遭ったのは、インターナショナルガーデンホテル成田(運営会社 ㈲イシン・ナリタ・オペレーションズ)だが、被告を親会社にしても、違法性がないと思われるのだろう。

 この結論が正しければ、大山涼一郎 裁判官の取り下げ命令は崩れることとなる。

 

裁判官の大失態

 簡易裁判の訴訟ノート<1>に述べた通り、大山涼一郎 裁判官は、取り下げないと、原告あなたの負けという判決を下すと暴言した後、大変に不公平な発言をした。

 4月8日審理当日、私が裁判官に強いられて、やむを得ず、訴訟を取り下げた直後、被告代理の白石は、席を立ち、裁判官に向かって、内の会社は、過失がないと発言した。

 そばに居た私も席を立って、怒った顔で、白石に向かって、反論した。

 それを見た裁判官は、直ちに私だけに阻止した行動をした。

 裁判官 大山涼一郎は、興奮振りを隠さずに大声で、私に対して、こういうことを言った(私を罵った)。

 今、この人は、もうすでにあなたの被告(代理)ではないよ、彼に対して、こういう発言を止めて下さい。
かなり硬い口調で声も大きくて、私の言論を鎮圧した。

 しかし、今になって、よく冷静に考えると、被告でないことを主張しながら、内の会社(被告として)の過失がないと、同時に主張する白石に対して、裁判官 大山涼一郎は、その時、何の矛盾をも感じなかったのであろうか。

 それは、さすがに裁判官の自由心証主義によるところであろうか、もしこのページをご覧になる他の裁判官がいれば、裁判官のあなたにも聞きたいものだ。
 


2010年4月30日金曜日

私と《昴》

金曜日, 4月 30, 2010

私と谷村新司の《昴》歌


  上 世紀90年代半ば頃、現在上海音楽学院の特別客員教授在任中の谷村新司さんは、中国の上海を訪ねた際、南京路にある和平飯店のバーで、《昴》の軽音楽を 楽しくて聞いていたシーンをテレビで放送された記憶があります。
  
  どうも、《昴》という曲は、私にかかわった関係は、不思議に深く なっています。

  1986年頃、私は故郷の中国アモイ(厦門、Amoy、Xiamen)でナイトクラブ(ダンスホール等)でアマチュア 歌手として、この曲を唄ったことがあります。その時、アモイの鷺江飯店の屋上のバーで唄ってた最中、アモイに旅行した日本人観光客がステージに上がって 一緒に唄ったのです。その後、私は日本に留学したこともその曲の御蔭です。

  つまり、バーで私が唄った《昴》は、大変に日本人の観 光客に響いたようです。

  日本に来てから、日本語はまだ十分に理解できない私は、またテレビで《昴》を聞いたことがあり、なんかとても 親しんでいた曲でして、特に、言葉の壁や貧しい留学生活を淡々送る、日々の生活に暗い影に被せられつつ、挫けて飽きそうな時期に、《昴》という曲は、私に 新しいエネルギーを注いでくれるようでした。
 
  たまに、友達とカラオケでこの曲を歌ったり、また、働いたスナックでこの曲を何回か唄 わせたことがあります。

  徐々に、いつの間にかに自分の定番曲になってしまいました。

  働いたスナックの常連客や店 の関係者も、たまにご指名で、私の《昴》を聞きたい客も増えたようです。

  これらも10数年前のことですが、今振り返って思い出すと、 確かに谷村新司さんの《昴》と、不思議な縁があったに違いありません。

  当時上海や東南アジアを訪れた、《昴》を作曲した谷村新司さん は、テレビのカメラに、こうコメントをしました。

  中国の人に聞いても、東南アジアの人に聞いても、皆、自分国の曲ですと言わんばかり で、面白いですねと、全然気にせずにテレビのカメラに向かって笑いながら語った谷村新司さんにとても印象的です。

  有名な中国台湾の歌 手、故テレ・サテン(邓丽君, 鄧麗君)さんも、《星》という中国語の曲名で、この《昴》を中国全土へ広げた有名にさせた主な歌手の一人です。

   私も、香港や台湾からの流行音楽の影響で、この《昴》(《星》)を知ったのです。

  今夜、上海万博の開幕式で、谷村新司さんが舞台で 日本の代表として、中国人に親しむ《昴》を披露しました。

  中継を見た私は、過去の自分の歩みをもう一度思い出させながら、この感想を ここに記する次第です。

  暗い時にも、楽しい時にも、《昴》は、自分と伴い、自分に持続力をを与えてくれる、エネルギーです。《昴》を 唄いながら、色んな困難を乗り越えて、楽しく暮らしていくため、私にとって欠かせない一曲です。

 

2010年4月13日火曜日

簡易裁判の訴訟ノート <3> (文責 魯 明)

㈱イシン・ホテルズ・グループに関する情報

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  今まで調べたことにより、被告(㈱イシン・ホテルズ・グループ)のいずれの会社の総責任者は、どっちでもマイケル・ニギッチである。

  どう見ても審理期日において、被告の代理人の主張(否認)、つまり、被告を間違ったことは、全く嘘な話しで、信用できない。

  一大企業の㈱イシン・ホテルズ・グループは、経済力の弱い一個人の原告に対して、どうして、下手な嘘をつく必要があるのだろうか。

  その真実を求める原告にとって、それは興味深い謎である。

㈱イシン・ホテルズ・グループのホームページからのプリント
代表者の名前表示あり


イシン・ホテルズ・グループの登記謄本に
代表者の名前記載あり

法廷内に渡された被告の登記謄本の一部
その2ページ目に前記と同じ代表者の名記載あり

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少額訴訟(請求金額六十万円以下の訴訟)

1.少額訴訟の概要
  少額訴訟手続とは,60万円以下の金銭の支払を求める場合に限って利用できる,簡易裁  判所における特別の訴訟手続です(民事訴訟法第368条第1項)。
 この制度は,簡易迅速に紛争を処理することを目的として設けられた制度ですので,通常の 訴訟手続とは異なる点があります。例えば,
 ア 裁判所は,原則として,1回の期日で審理を終えて,即日,判決をします(同法第370条第1項,第374条第1項),
 イ 訴えられた人(被告)は,最初の期日で自分の言い分を主張するまでの間,少額訴訟手続ではなく,通常の訴訟手続で審理するよう,裁判所に求めることができます(同法第373条第1項)。
 ウ 少額訴訟手続によって裁判所がした判決に対して不服がある人は,判決又は判決の調書の送達を受けてから2週間以内に,裁判所に対して「異議」を申し立てることができます(同法第378条第1項)。この「異議」があったときは,裁判所は,通常の訴訟手続によって,引き続き原告の請求について審理を行い,判決をしますが(同法第379条第1項),この判決に対しては控訴(この場合は地方裁判所に対する不服申立て)をすることができません(同法第377条)。

注意点
少額訴訟手続においても,通常の訴訟手続においても当てはまることですが,ア.被告が最初の口頭弁論期日に出頭せず,かつ,イ.訴えた人(原告)の主張を争う内容の書面も提出しない場合には,被告は,原告の言い分を認めたものとみなされ(同法第159条第3項本文,第1項-擬制自白の制度といいます。),裁判所は,原告の言い分どおりの判決をすることができます。

2.イメージ図
 
イメージ図

法務省:
少額訴訟の手続きについて 





http://www.moj.go.jp/MINJI/minji_minji68-2.html#68-2



自由心証主義について

10/12/02
裁判の仕組み 10(自由心証主義
弁論主義と言って、当事者の主張に拘束されると言ってるかと思うと、自由心証主義等と言って自由に認定出来ると言うと、法律家が訳のわからない事を言って、素人をごまかしていると思う人もいるでしょう。
『だから専門家などと言うものは信用出来ないんだ』『法律家と言うのは坊さんの現代版だからうまい事を言ってごまかすのが商売だろう』と、言う人もいるかも知れません。
紛らわしい事ですが、裁判所が拘束されるのは、主要事実と言って、『お金を貸した』と言う主張です。送金したか、手渡しか、または誰それの立ち会いで渡したという争いは、主要事実ではないので、裁判所が自由に認定して良いのです。
或いは、返したと言う事が争点の場合、返し方は、自由に認定しても良いのですが、被告が返したと言っていないのに、(時効だけを主張している時に)時効を認めないで、返した事を認めるのは許されません。
話が前後しますが、自由心証主義と言うのは、裁判所が証拠に基づいて事実を認定する時のルールの事です。
裁判所はいろいろな証拠や法廷に現れた事情全てを総合して、(弁論の全趣旨と言います。)自由なる心証によって、認定して良いと言うのが自由心証主義です。
これを聞くと、『へえ~、自由気侭に認定されたのでは叶わないなあ、』と言う疑問を持つ人が多いと思いますが、自由心証主義と言うのは、自由気侭な認定を認めているものでは有りませんので心配はいりません。
自由心証主義に対する概念は、法定証拠主義と言います。
特定の証拠が有れば、特定の事実を認定すると言う方法ですが、これだと一見わかりやすい様ですが、物事には例外的な事情が無数にありますが、これを予め法律で定めると言うのは不可能ですから、結局法網を潜るようなずるい人だけが得する事になって、社会正義が保てません。
自由心証主義と言っても、事実認定は、経験則に従わねばならない事になっていて、これに反した認定は上級審での破棄を免れません。


10/13/02

裁判の仕組み 11(経験則と自由心証)

自由心証主義と言っても気侭な認定を認めるのではなく、予め法定されていないと言うだけで、経験則に拘束される事を前回のコラムで説明しました。
では、経験則とは何かと言いますと、何が経験則であると言う事を法定しないのが自由心証主義ですから、(予め法定したのでは法定証拠主義になってしまいます。)事件ごとに判例の積み重ねと常識で決めて行くしかないのです。
例えば、お金を支払ったと言う証拠として、相手の名義の銀行口座への送金の領収書を提出したとします。返してもらっていないと言う原告は、このままでは、返して貰ったと言う認定を裁判所からされてしまうでしょう。
これを覆すには、『その振り込み領収書は偽造である』または、領収書の成立は認めたうえで、『銀行口座は、自分名義では有るが、被告が管理していた口座である』と言う事を証明したときは、更に心証が逆転します。
被告は更に『一定期間、自分は管理していた事が有るが、送金した頃には、通帳も、印鑑も、キッシュカードも返していた』事を証明すれば再逆転になります。
このように事件の状況に応じて、事実上の立証責任が、(法律上の立証責任は変わりません。これもややこしい観念ですがまたの機会に説明します。)
転換して行くのは、経験則に従って証拠認定されるからなのです。
こうしたルールを、ありとあらゆる事柄に関して、法律で予め決めておく事は不可能な事がおわかり頂けたでしょう。
しかも科学技術や生活様式は日進月歩ですからなおのことです。
こうして現在では自由心証主義が良いとされているのです。


出所(稲垣法律事務所)




簡易裁判の訴訟ノート <2> (文責 魯 明)

裁判官大山涼一郎に対する不満(疑問、不信、憤慨)

  今回の裁判は、いわば、一般的損害賠償訴訟である。(内容一部は簡易裁判の訴訟ノート<1>をご参考)

 きっかけは、2008年11月14日に成田発北京行きの、CA168便の欠航により、航空会社CA(中国国際航空会社)のあっせんで、インターナショナルガーデンホテル成田に宿泊際の出来事=結婚指輪滅失である。

  4月8日に、開廷審理があり、どうやら、裁判官大山涼一郎の粗末な審理で、慌てたように終了してしまい、4か月間長く待っていた(期待していた)審理はようやく始まったのに、とても残念だったと思う。

  少額訴訟で迅速な審理のはずな案件で、去年(2009年)12月24日に提訴以来、神奈川簡易裁判所から一切の連絡・事情説明もなく、逆に私が今年の2月26日に同裁判所に電話を入れてから、やっと裁判所が初めて動き始めて、4月8日を開廷期日に決定し、よって、同裁判所は真面目に仕事をしていることを伺えない。

  今回の損害賠償事件に対する不正審理事件は、前述の通り 簡易裁判の訴訟ノート<1> に一部述べたが、さらに、以下のことを補充したい。

  審理の当日、私と家内、そして85歳高齢の義理の母は、3人で法廷に向かった。女房は、法廷内で指輪滅失について、証言したいため、やむを得ず、法廷まで自分の母(重度痴呆症主)を連れていった。

  一般的に、見識と良心のあるべき(いわば 経験則 による)裁判官は、原告側の事情をすこし配慮するなら、こんな無茶な結論にはならなかったはず。そして、裁判官の不真面目さだったのは、今回の起訴は、去年の12月24日に提訴したもの、どうして、今年の4月8日に始まったか、その理由についての説明一切あるまいというところである。

  審理が大幅に遅れた弁明まで別に裁判官に要求するつもりがないが、要するに、それは裁判官がただ審理のみを行うという原則があったような気がするだから、しかし、もし原告の家庭事情(年寄りまでの出廷)に少し配慮があれば、さらに、原告が開廷日まで長く待っていた、その気持ちをすこしでも読み取れば(事件全貌を把握したと言い難い)、軽率な結論、つまり、訴える相手を被告として間違ったという誤判断の上、“ 訴訟を取り下げないと、原告の負けという判決を下す ”という大山裁判官の実際言動、無責任な断言=狂言&暴言 が出なかったはず。

  裁判官が法廷内の原告の現状に不配慮(無視)は人間性に若干問題があり、外国人に対して先入観がないだろうかと疑問視である。公正な審理ができない理由は、ただ裁判官としての意地のみによったものか、それとも、人間差別感の持ち主によるものなのか、もしくは、それらの総合的な構成によったものであろう。

  大山涼一郎の素質を問うべきだ。

  大山涼一郎裁判官の傲慢さは、前述通り、一部をすでに 簡易裁判の訴訟ノート<1> で述べたが、さらに、その続きとして、下に述べ補う。

  当日(4月8日)、裁判官大山は、被告の一言、被告を取り間違いって、すぐに被告に同調して、その変化に強烈な違和感があった。態度が直ちに一転して、原告に懐疑な目線を投射してきた。

  片方は日本人(被告)、片方は外国人(原告)、裁判官大山は、日本人が常に正しいという先入観がなければ、どうして過剰反応があったのであろうか。

  つまり、外国人は、日本のことを知らないから、舐めるつもりだろうか。

  一裁判官として、職業の倫理規則を自覚に守るのは、当然(言うまでもない)だが、相手(原告)の意見を無視した裁判官大山は、職業道徳観すら薄い方ではなかろうか。

  仮に、被告は、被告の取り間違いという発言があったとしても、一方的に原告にまず聞くのでなく、意地悪の今回の被告 ㈱イシン・ホテルズ・グループは、まさに最高いい例だったので、被告にまずその理由を聞く手もある。

  しかも、被告は自らの主張(否認)だから、民事訴訟の一大基本原則でもあるが、誰が主張するかにより、その挙証責任が主張する方に転換する。つまり、主張者が証明責任(立証責任)を持つべし。

  したがって、大山涼一郎は、この基本ルールにも違反した。

  この辺は、まさに裁判官の独立審理の不干渉問題という聖域であろうが、しかし、方法論からは不干渉で結構ですが、威張って、意見を聞き入れない裁判官大山のやり方を変えるのは、現場(法廷)にいる当事者原告の私しかいないではないのだろうか。

  裁判官は神様でなく、人間なら、誰でも過ちを犯す。

  その過ちがありそうなところ、原告は、一速く感じ取ることができる一人で、もちろん、当日一緒に居た司法委員や書記官も、何かの感じがあったはずだろう。

  裁判官大山は、原告に、 ㈱イシン・ホテルズ・グループ を相手方にしたその証拠を求めた。

  急に証拠って、多少慌てた原告は、捜しながら、インターナショナルガーデンホテル成田の自称総支配人の 武 震太郎も、最終責任者はマイケル・ニギッチとEmailでの返事があったと極力的に説明し、総責任者=使用者は、マイケル・ニギッチが間違いないと原告は主張した。

  そして探しながら、時間の無駄がいけないと心配し、原告は、さらに慌てた様子。
  
  やっと、一枚プリントを取りだした。 ㈱イシン・ホテルズ・グループ の公式ホームページに載ったものである。

  その内容を裁判官と一緒に確認した。

  つまり、マイケル・ニギッチが ㈱イシン・ホテルズ・グループ 最高経営責任者と書かれている

  会社の登記謄本にも、同じくマイケル・ニギッチが代表取締役だったと裁判官大山に説得した。

  ここまで、原告の主張はほぼ完了だった。これ以上裁判官大山に説得する材料がない。

  今度、裁判官は、被告に優しく聞く。じゃ~、どうして(被告を)間違ったと言えるか、その証拠がありますか。

  被告は、一枚のコピーを慎重に取り出して、しかも原告に見せないようなしぐさだった。

  経験豊富だったはずな裁判官大山は被告の心証を読み取ることが出来るはずだろう。

  一般心理的に言うと、つまりそういうことだろう。

  やましいことがなければ、持ってきた証拠をまず裁判官や相手に見せてから、証明証拠として採用されるのだろう。相手を説得するため、見せるくらい、別にすぐに自己に不利を来すことがなければ、なぜみせないのだろうか。プライバシー保護の観点からみても、その書証(書類による証拠)に保護されるべき内容ではなさそうであろう。だから、特に見せない正当な理由がなければ、見せて下さいと裁判官から命じることであろう。
  
  しかも、相手は当事者の原告であり、 ㈱イシン・ホテルズ・グループ は被告でないことを証明したいなら、堂々その証拠を出すべく、証拠を原告に出して見せない以上、その主張は、どうして、裁判官大山が客観的証拠として、採択出来たのだろうか。やはり、法廷内の手続きに問題があったと思う。

  それができないならば、その弱腰の裏に何か事情もあったかのではなかろうか、そういうことがないかぎり、なぜ、隠すのか、やはりやまないことがありそうしかいいようがなかろう。

  そもそも、法廷内で、自分が出した証拠を裁判官に提出した時と同時に、相手にも、その証拠を見せたり、説明したりすることが自然な行動と考えられる。
 
  どうも被告の行動は正常だったと認められるものではなかったという結論。

  傲慢は別に構わないが、常に自分を正してからでないと、法廷内で高圧な態度を原告に言論抑制してはならぬ。

  むしろ、謙虚な態度で審理に臨む裁判官がその職務に相応しい気がする。

  謙虚さに怖さを知るまい(謙虚さに敬畏すべし)。